このニュースの中身を「けしからん」とか「いや、けしかる」とかの視点ではなく、私はこういう解決策の“方法”というか“ものごとの考え方”もあるんだなぁ!と、感心したもんだからメモっておきたくなり、記事化しました。
「移転するのか、移転しないのか」の一見二者択一の議論で、どっちつかずの曖昧な、自由な、ぼんやりした考え方がある!をいうことを人は忘れているのではないか!?私はその点に目をつけました。
これを他のありそうな例でいうと、たとえば・・・
・Aさん、Bさんの二人とつき合い、比べてみて、いい方と結婚しよう。残る方とはその後もつき合おう。
・あまり結婚生活が楽しくない。だけど離婚すると都合悪くなるかもしれないから、理由をつけて別居して、場合によっては元の鞘にサッと収まれる体制にしておこう。
・会社を辞めたくなった。しかし辞めるといろいろとマズいこともあるだろうから、副業を始めてそっちに力を注ごう。
ざっとこんなシチュエーションが連想できます。どれも一見ケシカランことのように直感しますが、どれもよくある珍しくもない、しかし巧みなものごとの進め方だと、今日の豊洲ニュースを眺め続けてそう思いました。
このようなものごとの進め方は記憶しておくべきだと考えます。
AかBかハッキリ決めなければダメなことも世の中には多いです。「二兎を追う者は一兎をも得ず」の諺もハッキリさせろ!と戒めています。だけど考えようによっては先々まで決めないでズルズル行くことに実はメリットがあることも少なくないと言えましょうし、昔から諺でも戒められている「古き伝統」を疑ってみることも大事なことでしょう。
AもBも両方追ってもヤバくないなら、とりあえず両方追ってみよう!
これをリタイアメントの私自身にあてはめて考えると・・・
当ブログで以前から「もうリタイアしたから二度とカイシャ生活には戻らない」と決心したことを書いておりまして、実際どう考えてもまた会社員になる、なれるとは想像もできませんが「ベツに決心するほどもことでもないなぁ」「もしも、おいしい会社勤めの話が私に転がり込んで来るのであれば、受けてもいいんじゃないか」「70歳までリタイアメントで暮らし、71歳でおいしい会社員に再就職できたとしたら、それはそれで全然OKじゃないか?」と、そんなふうに決心しない考え方もアリです。
まあそんなおいしい勤務など今の世の中では想像もつかないけど、10年先になったら絶対に無いとは言い切れないです。
会社員はまったく通勤しないで済むかもしれないし、報酬はお金と限りません。仮想通貨ってモノも普及し始めました。ネットも進化するだろうし、AIはふつうになるだろうし、そう考えると年齢に関係なくリタイアメント並の自由さを持てる社員制度が起きるかも??。
さらに、私ではないこれからリタイアする方々では、社員として在籍しながらリタイアメントとほぼ同等の自由が持てるリタイアメント社員制度みたいなものも出てくるかも。なにしろこれからは人材が不足するし、エキスパートには時々、あるいはたまーに社業に役だってもらいたいニーズも会社にはあるでしょう。10年後にはどうなるか楽しみなことはいっぱいあります。
だから将来はどう変わるか分からないので、分からない将来を「今と同じだ」と思って今決心しないで、行けるところまでズルズル両方引っ張っていく、という方法にもメリットはありそうだなぁ。
そんな気がしてきました。
だから、アーリーリタイアしようと頑張っている方々は、とりあえずアーリーリタイアできるだけのお金の用意と今後の夢を練り上げて、その上で会社に居られるだけ居て、何かチャンスが出てから日和見しながらリタイアを決行してもいいんやないでしょうか。
タグ:決めないという方法
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結婚していてもサクッと別れるようで、そういう結婚に比べると婚約はさらに軽かったのでしょうねぇ。
そんな軽い身のこなしが上述のアイデアを産んだのでしょう。