2016年07月11日

町内会で見た!豪邸に住めるひとの条件

「豪邸に住めるひと」は、まず例外なく金持ちであるから、豪邸を見たら「なぜあの人は金持ちになれたのだろう?」と、見たり聞いたり考えたりすることは「生きた自己啓発」です。

私の住む地域は、おおかた豪邸と呼べる「大きな家」が立ち並んでいまして、私の家はその地域の中では少数派の「小さな家」なのです。そんな私の家でも購入当時は単独で買うことは無理だったので両親と共有名義にして費用折半してもらい、ようやく建てられました。だってその頃は私はサラリーマンだったからです。高額をポンと出せません。

そんな私の小さな家を後目に、豪邸とは「億」の単位のお金がかかり、しかも家のガレージにはベンツともう一台の車が並んでいるのですね。私は町内会の役員を今年やっていますので、そういう「豪邸に住めるひと」がどのようなお方なのか見たり聞いたりの努力を密に続けていまして、現時点での中間まとめでは「豪邸に住めるひとはサラリーマン以外の職業のひと」です。これは以前から「そうじゃないかなぁ」と想像していましたが、まさしく「自分で事業をやっているひと」が豪邸に住んでいる確率が高いです。儲かるから豪邸が建てられるのですね。

ちなみに前前職の会社に勤める、しかも私よりずっと毛並みのいいサラリーマン時代の先輩が私と同地区にお住まいですが、その方のお宅は、さすがに中を拝見すると私の家より豪華ですが、大きさは私の家と一緒です。「毛並みのいい会社員」でも「自分で事業をやっているひと」の半分の大きさの家を建てるのが、きっと精一杯なんだろうと実感します。

「自分で事業をやっているひと」とは、特に儲かりそうな特殊な仕事しているわけでもなさそうです。魚屋さんだったり、スーパーマーケットの経営者だったり、土木建築業とか、中古車販売業、学校施設の設計をするお仕事、保険屋さん、レストラン経営、工具販売会社なんていうのもあるし、印刷屋さんのひともいました。それぞれ豪邸にベンツやBMWをお持ちなケースが多々あります。

私の家を建てた建築会社の営業マンは、たまにリフォームの売り込みに私の家にも喋りにきまして、ついでに情報を聞くと「この辺りの豪邸に住む方々は、自分で会社経営している人が多くて、お金もそれなりに持っているみたいですが、たまーに資金繰りがダメになって夜逃げするひともいますよ」などと証言していました。でもそういう夜逃げしたひとより、豪邸にもう10年以上住み続けている人がいーっぱいいるもんだから、お金持ちになりたかったら「やっぱり持つべきものは自分で経営する会社だよな!」と、持論に自信が深まります。

大庭夏男も、もう足掛け20年間も前から豪邸の隣の小さな家に住み、散歩しながら豪邸を眺め「やっぱりサラリーマンではこういう家は建てられないよな」と、なーんとなく察していましたが、今にして思えば、なぜそう分かったら具体的に自分で事業を起こす行動をとらなかったのか・・・と考えさせられます。

当時にさかのぼって思い起こすと・・・
自分の事業を進めていくことは、すごい能力と度胸が要るだろうし、社交的でなければ上手くいかないだろうと思っていました。あいにく大庭夏男はそのどれもに自信が無く「でも、そのうち何~んかいい起業のアイデア思いつくだろう」と、事業内容の開拓を考えることはそっちのけで、まず「たとえ失敗しても家族を露頭に迷わせないお金を貯めるところから着手しましょう」と、こうやっちゃった結果が今のセミリタイア生活につながってしまった。こう解釈できると思います。

きっと豪邸に住み続ける、事業で儲かっている方々は「金持ちになって豪邸を建てたい」という意気込みがあったのでしょう。それに対して大庭夏男の場合は当時まだ会社員をやっていたので「ま、ここで稼げるだけ稼いで貯えを作り・・・」から出発してしまったことが豪邸と小さな家の差になったことは間違いないです。

こういう大庭夏男の行動は、まさに「サラリーマン根性」の一種、ただし変型版です。でも逆説的には、サラリーマンでないと「セミリタイア」というアイデアは閃かなかったのかもしれません。

町内会役員の立場上、よそ様の豪邸内部をチラ見させていただけるチャンスがありまして、そこから垣間見える豪邸内部の雰囲気の良さったら、私の自宅の「機能性のみで構成された室内」とは全然違う、まさに別世界です。こういうのを眺めると「海外旅行もいいけど、日本国内にこんな豪邸を建ててベンツやアウディーに囲まれて暮らすのもさぞかしいいだろうなぁ」と垂涎しそうになります。

大庭夏男はもう「セミリタイアメントでこの先も行く」ことを決めてしまったから、今更進路変更する気もありませんが、私の子どもは、こういう豪邸生活に刺激を得て、サラリーマン根性に染まらずに、大きい花を開花させたら・・・どーかなぁ、と子どもを想うこともあります。

幸か不幸か、二人の子どもは入社した会社にずーっと勤める気はサラサラ無くて、実際、上の子は「世界的に著名なIT企業」を辞めちゃって、1年間海外放浪の旅に出ていました。帰って来たらその成長した語学力と独立精神を活かして「起業」の道に進むのかと身構えたら、予想に反してまた別の会社に入社してしまいました。

子どもは父親の背中を見て育つと言うらしく「おとうさんが毎日部屋に閉じこもって『あ!株でまた儲けた♪』なんて姿見せてるから、あの子達はあーなっちゃったんだからね!!」と妻は不満みたいです。実際下の子は最近「株取り引きってどうやるの?」と私に聞いてきます。

こういうことなので大庭家では今後も豪邸は建たないこと間違いないですが、ご近所の豪邸さんと大庭夏男とは、規模が大きく違うけど共に事業者で、豪華さがエラく違うけど共に自分の家を持っているから、
彼ら豪邸さん達をこれからも観察して、いったいどのようにビジネスチャンスをモノにしているのか、参考にさせていただこうと思いました。

町内会役員という立場は、そういう使い方でもけっこう意義があるみたいです。

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posted by 大庭夏男 at 15:43| Comment(1) | TrackBack(0) | リタイア後の心境 | 更新情報をチェックする

2016年05月09日

「よそ者呼ばわり」を長続きさせる方法

よそ者呼ばわりされるのは嫌ですか?
私は少なくとも私の住む地方都市ベッドタウンでは「よそ者」には行動の自由が得られるメリットがあると以前から実感しています。だからよそ者呼ばわりされることは長続きさせたいと努力しています。

かつて当ブログの記事に書いたことですが・・・
ある“田舎”に大阪から越してきたお寺の奥さんは、10年間はよそ者として“お客様扱い”されていました。奥さんが言うにはその田舎は閉鎖的な場所なのだそうです。

引っ越し後10年を過ぎた頃から急に近隣住民の態度が変わったと証言していました。「もうアンタは10年もここに住んでいるんやから、ここの常識に合わすべきとちゃうの!」こんな態度になったそうです。奥さんはただ「○○してもいいですか?」と尋ねて「エエけど」と答えたのを聞いてそうしたらしいのですが、その地の常識によると「エエけど」と言ったけど常識でそんなことしたらアカンのは分かるやろ!ということだったらしいです。怖いですねぇ。

実は私も先日、似たようなことをかつて近隣住民の間で呟かれていることを知らされました。ウチが10年前に近所の第一号でソーラー発電を屋根に載せた直後に「あの人東京モンやさかい、ぜんぜん周りのこと気にもしてへんわ・・・」と呟かれていたそうです。先日その呟いた一人らしい人から「以前はそんなことアンタも耳に入って、嫌な気したやろねぇ」みたいに面と向かって私は言われました。私はまったく知らなかったので「そんなことな~んにも聞きませんでしたよ」と答えたら、相手の目は少し白くなっていました。

ただもうソーラー発電の呟きはもうおしまいです。私の近所では今は屋根にソーラーパネルの家はごく普通になりました。私はそのパイオニアだったわけです。

私が近所からソーラー発電のことで工事前に直接「アンタ何するんや、そんなことヤメんか」と言われなかったのは、まさしく私が“よそ者”だったからです。「あの人はこの土地のことが分からないから言っても仕方が無い」と諦められていたということだと思います。上述の奥さんのような「お客さま」ではないにしろ、私が元は東京人だということは知られていたようなので、そういう人はここの常識のない人だし、もし意見言いに行ったら反対に何されるか分からない、という心配もあったのでしょう。

こういうよそ者相手の微妙な均衡状態が過日からの私の町内会デビューで崩れかけているのかもしれません。私がご近所と会話するようになったことで、何されるか分からない人という不気味さが消えて、今まで言いたいことが出て来たのでしょう。これは半分歓迎すべきことだとは思いますが、後の半分は懸念すべきことです。近所の方々からさまざまに干渉を受ける兆しだからです。

もし私の住むところが上述のお寺の奥さんのような閉鎖的な地域であればきっと呟き程度では収まらないのでしょう。ちなみになぜソーラー発電を屋根に載せるだけでそんな呟き言われるのか?
どうも「みんなでそのような取り組みをしましょう!」と決めてもいないのに勝手にやった、というのが根にあるようで、特にソーラーパネルの屋根は目立ってヘンだ、という評判だったらしいです。今では町内会組織?が音頭とって??「屋根に載せるなら光沢の無い“つや消しパネル”ならいい」というローカルルールがあるみたいです。

いろいろ書きましたが、言いたいことは「よそ者は周囲から遠慮されている」という現象が起きると、遠慮のためにあまり意見されないから、それなりに自由が許されるということです。かつて私の勤めていた日本の会社にはドイツ人社員がいた時代がありました。日本人同僚は「あいつらドイツ人は文化が違うから言ってもしょうがない」という大方の反応でした。これも似たような現象です。

上述のことも外国人社員の日本風習に不慣れを見逃すことも“良いとは言えない”ことは重々承知ですが、良くないから相手に溶け込もうとすると、上述のお寺の奥さんのように、ヘタをすると相手の世界の下に収まってしまう危険があります。

私はリタイアメント暮らしを送るようになってから、10年近くも続いた東京への単身赴任をやめて関西のベッドタウンに毎日暮らしています。きっと定年退職を機に地方に移住したとか実家のある田舎に引っ越す方も少なくないのだろうと思います。

これは私の見方であって、異論はあるとは思いますが「あえてよそ者扱いされる期間を長く引き伸ばす方が地域人間関係がうまく進む」と、経験上実感します。

ではよそ者扱いを引き延ばすためには・・・
1.ベッドタウンに住む
ベッドタウンは元々よそ者比率が高いです。なので地元人に言わせると「常識ない人が多すぎ」になり易く、その分だけ自由に振る舞えることは増やせます(ただ限度ってもんは有りますよ!念のため)

2.地元の言葉でしゃべらない
言葉が同じだと共感が持てる持てないがハッキリしますが、みんなは関西言葉で私が東京言葉だと感情は伝わり難く情報だけしか伝わりません。なので相手との精神的距離がおのずとできます。だから会話で感情的になるのが防げます。ただ私の言葉が相手に分からないとそれが元で苛立たせますから、私は東京言葉ではなくなるべく標準語で、しかもゆっくりめに喋るようにしています。これなら関西人も「あいつはキザなヤツ」と思わないです。

3.少し敬語を混ぜて話します
敬語は相手との間に距離を作ってしまいます。なので距離を離したい場合は強めの敬語を、接近したい場合はせいぜい丁寧語程度に軟化させた話し方をします。こうすることで妙に馴れ馴れしくされることがある程度防げます。

4.会ったら挨拶をきちんとします。だけど挨拶以外は滅多にしません
世間話を始めると、相手と急接近して馴れ馴れしくなる可能性が高まります。だから長い期間の観察で「この人は大丈夫そうだ」と思った人以外は、会話は挨拶だけにします。そうは言っても場合により親しげに会話しなければならないこともあります。町内会活動のように。しかしその場面が終わり、次に道で会ったときには“挨拶だけ”モードに戻します。

こういう要領で私はご近所さんとは(近所だけでなく適度に距離を置きたい人の場合は)つかず離れずの関係を長く続けたいと思っています。

しかしこんな関係の連続では物足りない感もあります。
そのために「ひとつだけ他の人が追随できないことをする」を実行しようと努力しています。これには多分以前のサラリーマン時代にやってきた、たとえば会議をうまくまとめることとか、お金の管理が上手(私はダメかもです)などが活かせるでしょう。

私はできることなら科学の好きな子供を増やすように、理科に興味を湧かせるようなことをやって行きたいと画策しています。東京でやるハズだった「理科塾の先生」のプチ起業は頓挫したので、今度は別なアプローチを地元でやろうとまた画策し始めました。これで「ヘンな変わり者だけど、まあエエか・・・」と変人ながら地域に受け入れられたらいいのですが。

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posted by 大庭夏男 at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | リタイア後の心境 | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

清原氏のインタビューやブログから類推できる「自分のリタイア後の心境」

昨日はどのニュースでも清原氏の事件を報じられていました。
そのいくつかでは過去にNHKが取材したとき清原氏の口から語られたとされる内容と、最近のブログに書き込まれた内容とを紹介しているのを聞き、彼のプロ野球選手引退と1、サラリーマンが会社生活からリタイアするときの心境に共通項があると感じました。

清原氏の起こした事件の直接的内容ではなく、
彼のインタビューとブログに語られた内容を「参考」にするには、このように見たらどうか?
今日の記事は私が気づいた「引退」の身構え方について書くことにします。

主な視点は、サラリーマンリタイアについて
自分で準備できることと、どうしようもないことがある、ということです。

1.長年勤めた会社を初めて辞めたときは、清原氏がNHKに語ったこととたいへん似た気分になる
清原氏が以前NHKに語った内容は、下のリンク先で読むことができます。
↓↓↓
清原氏がNHKの取材で語った内容

このリンク先にある記述の中の「野球」という文字を「会社」に読み替えて会社を辞めたサラリーマンを想像してみて欲しい。
会社を辞めたら一日をどう過ごしていいのか分からない、
会社を辞めたら心に穴があいたようで、
会社を辞めたら何も戦うことがなくなる、それでお酒飲んでばかり、
会社を辞めたら何もすることがなくなって、毎日庭をみているばかり、
多くの「引退した者が初めて気づく会社勤める大きな意義」をこの記事から類推することができるでしょう。

なぜこうなるのか?
今まで真剣に、一途にやってきた、この道しか無い、と信じていたことが引退を境に消えたような気分になるからです。

2.エリート意識が残ったまま会社をリタイアすると葛藤が強い
清原氏は自分の名前を背負っていく辛さを語っています。彼はまさしくプロ野球界のエリートだったので、引退後もそれを保持しなけらばならない理由があったのでしょう。
私は非エリートだったので、エリート世界は想像するしか手がありませんが、エリートサラリーマンもきっと同様な葛藤を感じて引退後に葛藤するのかもしれません。

3.リタイア後生活が苦しいと、そこから逃れることばかり考えるようになる
清原氏は引退後に野球解説者やタレントに転向したのかとばかり思っていましたが、実はうまく転向できていなかったようです。選手に拘っていて、選手でない野球関係の仕事をすることを苦しいと思っていたのでしょう。
引退してプロ野球選手は「おしまい」にしたんだから、その卓越した知識や豊富な経験を生かし、解説者や用具の開発改良に可能性を見つけたらよさそうなのに・・・と私は思ってしまいますが、サラリーマンも同様に、辞めても今までと同じ仕事や立場に拘る人は、そう珍しくはないかもしれません。

4.上述のことはサラリーマンの場合、やり方によっては回避のための準備ができると、私は思う
プロスポーツ界で違うスポーツにプロを変えることは珍事ですが、サラリーマンは職業が変わることは珍しくありません。以前は営業マンだった人がITエンジニアに変わることがけっこうあります。
こういうプロの転向をすると、自分は「これしか無いんだ」という勘違いを是正することができます。「けっこういろんな事ができるじゃん!」こういう良い意味でマルチ人間が育ちます。
逆にそれは専門性を低下させ「あいつはいろいろ知ってはいるが、どれもこれも底が浅い」などと言われるようになりエリートの道から外れることになりますが、実はこれはメリットの方が多いです。
専門性が浅くなっても多岐にわたって経験や興味対象が多い方が「つぶしが効く」ことに他なりませんので、たとえば転職しても新しい職場に適応することが簡単になり、リタイアしてもそこで新しい興味対象を発見できることになります。

だから会社生活で「先が見えてきた」と感じた時期に、今までの専門性に近くて、多少違う別のプロに転向することは、リタイアを視野に入れても是非現役時代にやっておきたい処世術ではないでしょうか。
私の場合、以前は機械の開発や生産技術が専門でしたが、そこから製品開発や製造を扱うITの仕事に転向しました。将来自分で起業するとしたらIT知識は欠かせないだろうと思ったからです。結局起業らしい起業はせず、セミリタイアで「ゆるい起業」しましたが、ブログ書くにもITは役立ちました。

5.自分では、どうしようもないこと、がある
清原氏のブログで、飲食店に入ってきた客に指をさされて笑われた瞬間ブチ切れて、我慢していたが気がついたら灰皿を叩き割っていた、というようなことをテレビのニュース番組で報道していました。
彼は自分の性格をよく承知していて、ブチ切れることはしたくない意識が高いにもかかわらず、他人に笑われても平気でいられるようになれなかったのでしょう。
人の性格は変えられません。

リタイアして楽しい生活を送る要素のひとつに、私は性格が強く関係していると思います。
強いて言うなら、他人から恨まれるような悪事をしない範囲で、自分が良ければそれで良い、と心底思って行動できる性格でないとリタイア後の自由な生活を楽しむことは困難でしょう。いつも周囲の人に自分がどう思われているか、もしかしたら自分は負け組ではないのか、このような他人を気にする性格はリタイア生活を楽しむのに不向きです。しかもこれは変えることはできません。

なのでもし、自分がリタイア生活が不向きな性格だと分かったら、たとえお金に恵まれていてもどこかに勤めて働き続けることに努力する方がマシだと思われます。再就職先で慣れない会社で、新しい仕事をするのはたいへんですが、リタイア生活不向きな人は、まだその方が幸せです。それは上述のNHKのニュース内容に書かれた清原氏の引退後の心境を読めばよく分かると思います。

6.リタイア生活を楽しむには、お金だけの問題ではない
清原氏の報道には引退後の生活費については何ら触れられていません。
間違いなく彼はリッチな暮らしをしていて、お金に困るようなことは全く無かったからでしょう。でも引退後は辛くて仕方が無かった。
もちろん、彼は引退しても困らないだけの資金があったので引退できたわけですから、引退後の生活費を確保することはリタイア前に行っておかなければならない必須項目です。

だけどそれだけでは極めて不十分で、リタイア後生活を楽しむために求められる自分の性格を見極めることと、現役時代に拘らずにたくさんの興味を引き続き追いかけられるマルチ人間に自分を持って行くことがリタイア準備として必要になることなのです。
タグ:清原

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posted by 大庭夏男 at 15:22| Comment(3) | TrackBack(0) | リタイア後の心境 | 更新情報をチェックする


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