2017年01月13日

無償ボランティアの利用の仕方について

「リタイアメントになったらボランティア活動に参加する」は定番で、決して悪くない行動だと思うのですが、以前から疑問に思うことがあります。

なぜ自治体は「無償ボランティアありき」のように、高飛車に振る舞うのでしょうか?

次回オリンピック開催について、自治体トップの「あの人」の発言もテレビで聞いたとき私はそう感じました。募集すれば無償で活躍する人が続々と応募すると思っているの??
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「あの人」の発言ではないけど、それに関係しそうな「気になるアンテナニュース」記事へのリンク

今日は大阪発でもこんな記事がありました。まあ応募するかしないかは事業者の自由だし、応募条件をどうするかは自治体の自由でもありますが。
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「ライブドア トピックニュース」記事へのリンク

実際、無償でもやりたい!というニーズがあるから自治体はこのように強気に出られるのです。でも私は無償ボランティアにこそ「それでなければ手に入れられない利がある」と思っていますので、無償ボランティアが募集されるのは望ましいと考えます。けれど無償ボランティアっで運営費用が削減できるのは副次的効果であって、それを前面に出し「殿様じゃあるまいし募集する方も調子に乗るな!」とも言いたいです。

しかし「調子に乗るな」と言ってみたところで、相手は募集すれば割と簡単に人が集まる市場なので、こんな具合では調子に乗ることは自明です。だからボランティアに応募する側が調子に乗っている募集には、その手には乗らないよう対策する必要があると言えます。

大庭夏男が実際にあじわった無償ボランティアをもとに、どのような対策があるかを考えてみましたら・・・
1.一旦足を踏み入れたら抜け出し難い契約や雰囲気があれば近寄るべきではない
無償なのに契約で参加を約束させられるボランティアには、私だったら絶対に応募しません。でも契約書や約款を団体が持っていることは当然ありますから、必ず参加前に内容を見て、あやしいことがあれば引き上げることを薦めます。

2.無償はいいけど「持ち出し」がバカにならないようなら近寄るべきではない
背に腹の代えられないチャンスがそこに転がっているのであれば、大いに自腹切ってもいいと思いますが、そいつに手を出すのはリスクがかなり伴います。そういう覚悟はあるでしょうか。

3.「縦社会」または反対に「自由過ぎる」を見極める
自治体主導のボランティア活動であるならば、まず間違いなく縦社会はついてまわるでしょう。私はそれが「嫌」です。自由奔放に振る舞えるのがいいです。が、人によっては自由では「何していいのかサッパリ分からない」と困惑する人がいます。そういう人は縦社会向きでしょう。どっちのタイプの活動組織なのか見極めが肝心です。

4.仕事の中味もさることながら、気の合う人がいそうかどうかが肝心
仕事のためなら苦労は厭わないなら、ボランティアではなくて社員や職員の方がいいです。少しぐらいの苦労なら「お給料もらっているから」と納得できます。無償ボランティアにはそれがありません。だから苦労を支えるものはお金ではありません。私の経験ではお金の代わりになるのは「気の合う人」です。

5.応募は消極的に
ボランティア応募は基本的に「してあげましょうか」「やってもいいですよ」であるべきと私は考えます。だから私は「是非私に!」ではなくて「よろしければ私が・・・」でアプローチします。もしそれで相手が振り向かないのなら、それでおしまいで大丈夫です。

6.駄目だと判断したら逃げ足は早く速く
逃げ足の速い人は、活動初日を最後に消えます。というか半数以上がそんなでした。逆に何度か参加したら、それは『今後も参加し続けますよ』という阿吽の呼吸が相手との間にできることになります。そうなってから抜けるのは厄介です。街のどこかで偶然にその相手と鉢合わせになるたびに・・・逃げださなければなりません。

しかしお金に換えることが困難な利が、ボランティアには「可能性」として内在しているかもしれません。その「可能性」があるのか無いのか虎視眈眈と調べて、あったとしたらどのようにそれを手に入れるのかを考えながらボランティアを続けることが最終的な自分の利になります。

おそらく、そういう利点は、たとえば著名人と話し合うことができるとか、そういうお金ではなかなか実現しないことが、比較的容易く起きる“かもしれない”などでしょう。

その著名人とは、どこかの国の大統領かもしれないし、地元小学校の校長先生かもしれません。


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posted by 大庭夏男 at 17:32 | Comment(4) | TrackBack(0) | 好きなこと探し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月09日

サラリーマンは「まだセミリタイアし易いよ」らしい

そう言ったのは建築関係の仕事をしている個人事業主の人です。
彼は私の知人で、既に60歳の大台は超え年金受け取り世代になったのを機に、今までのようにがむしゃらに働かないセミリタイアに想いを馳せるも「どうやって第二の人生を設計したらいいのか分からない」と先日言っていました。

その男が言うには「もし俺がサラリーマンをずっとやっていたらもっと第二の人生のイメージがはっきりしただろう」と。

なぜ彼は第二の人生の設計構想がうまくできないのか・・・
彼はもう何十年も前に勤めていた建築関係の会社を辞めて、自分でデザイン会社を立ち上げた脱サラ起業家です。もうこの時点で自分の描くやりたいビジネスを手に入れ、それによって家族を養うという重い責務も果たしてきました。その個人事業としての建築関連ビジネスは、それこそ何でもかんでも全部一人で責任持って行動しなければならず、熱があっても腰痛になっても仕事を休むことができなかったキツイ仕事の連続だったらしいです。

そういう彼の仕事は彼の息子に引き継がれ、めでたく彼は第一線を退き、たまたま目の前にいた大庭夏男がサラリーマンをセミリタイアして、気ままにやってる様子を眺めて「第二の人生」について可能性をいろいろ考えてみた。けど「だめだぁ〜」と先日私に「なんでだろぉ・・」と意見を聞いてきました。

彼の思考はこうです・・・
今までやってきた建築関係の仕事はかなり気に入っている仕事だった。だからセミリタイアを考えた当初は、仕事の受注をコントロールして「少しだけ受ければ楽ができる」と思ったけど、実際そんな受注のコントロールはできないことがすぐに分かった。建築デザイン事務所の看板をあげている限り仕事は嫌でも引き受けざるを得ないことになるそうで、仕事が一本入ったら最後、そこから数か月は忙しい日々になるのだそうです。

で、彼は第二の人生を考えるにあたり「仕事を変えてみよう」と、建築関係ではないビジネスを始めることを思いついたらしいです。が、ここで悩みが起きたと言うのです。
それは「今から違う仕事をやったとして、それでまた苦労して稼ぐことをまた、なぜするのか?」という疑問だったらしいです。
稼ぐのなら今までの仕事を継続する方がまだ簡単ではないか、と。
事実、息子が仕事の後を継いでいるから、以前より多少は楽と言えば楽だし、親子鷹で仕事すれば収入も多いだろうから、なぜ苦労してまで新しい仕事を努力するの?の答えが見つからないとも。

それで私は試しに「稼ぐという発想をやめたらば・・・」と言ってみました。
彼はその私の意見には承服できませんでした。
「仕事をするからにはたとえ安くてもいいから相応の報酬を得ることを外すことはできない」と彼は言いました。例えば建物を施主と共同して作るとしたなら報酬は半分が妥当だとは思うけど、タダにはできない。これはビジネスとしては極めて当たり前でリーズナブルな考えです。

ここまで話し合いを続けて改めて考えると、個人事業主のセミリタイアはサラリーマンよりずっと難しいことが分かってきました。サラリーマンであれば「会社に勤めない“何か身の丈な稼ぎごと”を個人で始めること」で、今までとはずいぶん違う雰囲気で稼ぎができます。だから「セミリタイアしたぞ!」と意識できます。私がやっているブログアフィリエイトと株式トレードでのセミリタイア生活は、まさにそうです。

だけど今までが個人事業主だったら、現役時代と同じ自分の机で、いつも見慣れた部屋の中で、抜け切れない「やるんだったら稼ぐ」という発想で、それでも自分にブレーキをかけながら無理やり頑張らないようにビジネスを始める、みたいなムードになりそうだ。これではイメージした「スカッツと爽やかで生き甲斐ある第二の人生の活動」にはなりそうもない。彼はもうこんなモヤモヤを多分数年抱えているものと思われます。

そう言えば、私の父も50歳代で独立起業して小さな鉄工所を経営しましたが、65歳で工場を畳み、その後はまた別の鉄工所に雇われて70歳まで働き、その後はスパッと働くことをやめ、その後10年間生存しました。セミリタイアというのが父にはありませんでした。

私は個人事業主の人のセミリタイアについては、もはやアイデアがありません。唯一「稼ぐことを外したらいいのではないか」とまじめに考えていますが、それでは趣味に生きる第二の人生であってセミリタイアではないとの反論に対抗できません。

上述の彼には「じゃあ株式トレードをしてみたらどうか」「株式トレードなら他から受注することが無いからマイペースでできるから」とも打診しましたが、どうも乗り気ではありませんでした。

私は自分が早期退職ついでにセミリタイアでき、その後も苦しくない暮らしをおくっているのは、その直前までサラリーマンをやっていたためだ、という事実?を今回実感しました。

相談を持ち掛けられた上述個人事業主の彼が今後どうするのかは、まったく分かりません。
分かりませんが、また相談を持ち掛けられれば話を聞こうと思います。


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posted by 大庭夏男 at 13:19 | Comment(2) | TrackBack(0) | 好きなこと探し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

セミリタイアメント大庭夏男の正月風景

うっかりしていたら、またいつもの正月が来てしまった。。
そんな気分の正月です。

私は正月が昔から好きではありません。
幼少の頃、正月は両親が普段着る服ではない着物なんか着込んで、よそよそしくあらたまった態度で不自然感が三が日中続いたし、いつも観ているテレビ番組はやっていないし、プラモデル屋も店を閉めているし、凧揚げ行くと近所のいじめっ子が幅きかせているし・・・なので正月が嫌いでした。

もうすぐ足掛け60歳に手が届きそうな今でもその余波はぬぐいきれません。
「正月は○○○せねばならない!」こんな不文律が家に染みついているからです。

1.三が日は朝8時までに起きて居間まで来なければならない
なぜなら、正月は「雑煮を食べる」という行事をしなけれなならない、という不文律があるからです。雑煮自体は私は嫌いではありません。今から35年前に東京から関西に移住してから、白みその雑煮が標準仕様となり、それまでのおすましの雑煮に比べ味と食感が私にフィットしたもんだから、妻は必ず「あんたの要望だから・・・」と正月は雑煮の三が日としてしまいました。雑煮は餅を希望個数鍋に入れて煮なければならないから、起床時間にばらつきがあると「困るから!!」8時キッカリに居間のテーブルに着席して、雑煮の完成を待っていなければならない。元旦はこの行事のおかげで寝不足で、頭ぼーっとしていました。

2.元旦は掃除してはいけない
私は掃除が基本好きです。拭き掃除はあまり熱心ではないけど、掃除機掛けはたいへん好みで「掃除機もの」と呼ばれても構わないぐらいですが、元旦だけは妻が掃除を許してくれません。理由は掃除をすると福を掃き出すから・・・と言います。私は「いやいや掃き出すんじゃないから!掃除機に『吸い取る』んだから、福を吸い寄せるんだよ」と反論を展開するのでしたが、これがまた新年早々妻には「言い訳!」と写ったらしく、逆鱗です。

3.年賀状が来る
私はいつも年賀状のやりとりがしっくり来ないので、今年は「後出し年賀状」にしようと、まだ一通も年賀状を書いていません。
なぜしっくり来ないのか・・・
年賀状はだいたいの人は年末に書き上げ、投函するから、多くの年賀状は元旦に届いてしまいます。「ご部沙汰しています。お元気ですか。」の挨拶と共に。
私もこの年末投函組に混じって年賀状を書くとやっぱり「ご部沙汰しています。お元気ですか。」と書いてしまうから、お互いに「お元気ですか」と尋ねっ放しで「はい元気にしてますよ」と応えることができないから、何だか「独り言の言い合いのような年賀状だなぁ」と思っていました。だから今年から来た年賀状を読んで、それに対して応えを書こうと思っていました。
ただ、以前は「お元気ですか」とかに混じって「頑張って○○続けています」とか「新年はスキー場にいます」という元気な調子が多かったのですが、今年来た年賀状には「なんとかやってます」とか「いつもどおりが幸せだと思うようになりました」みたいにちょっとトーンダウンした傾向があるみたいで・・・これから後出し年賀状で返事書きます。

4.福袋を買いに走らなければならない
「正月は福袋を買うに決まってる!!」
これが大庭夏男の妻の「常識」であり、子どももそれに同調し、しかたなく買いに走るのは大庭夏男の係でした。なにしろ正月二日は福袋解禁日にもかかわらず妻のデパ地下食品販売の仕事はこの日が新年初日のオープンだから「福袋を買うのは常識」でありながら自分は現場に行けないので、リタイアした夫の私が走るのは当然、という仕組みが近年すっかり定着して久しいのです。
でも今年は私の子が代走してくれました。
私も後からついて走りましたが、さすがに福袋激戦区の現場は殺気立っていました。近所で一緒に町内会役員をやっている奥様が見えましたが、やはり旦那に檄を飛ばし、手には既に二つの福袋を確保しておられました。丁寧に新年のご挨拶する雰囲気ではありません。その奥様も私などが近くにいることなどまったく気づいていないのでしょう。やはり福袋現場は私には合いません。


その他に、正月ぐらい家族団らんしなければならない、というのもありまして、元旦私はいつものように「パソコンの前に座る」という、心安らぐ日常を行うことに躊躇していました。が、今日は二日、妻はデパ地下の仕事にでかけ、福袋買いも済み、子どもは二人とも外出し、というか一人は早々と東京に帰り、自宅には私と犬の二人だけになり、やっといつもの「パソコンの前」という日常が帰って来て、心の底からほっと一息入れております。

きっと私はこの「ひとりでパソコンの前」というのが性に合っているのです。
今年もたぶんいろいろな人に会って町内会とかボランティアとかの「セミリタイア活動」をしますが、ゼッタイに週に何日かは「ひとりでパソコンの前」というのを外さないようにしなければと思いました。
これがきっと一年の計になると思います。


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タグ:正月
posted by 大庭夏男 at 14:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | リタイア後の生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする